須田 国太郎

洋画家。京都生。
京大哲学科卒業後、関西美術院で都鳥英喜らにデッサンを学ぶ。
渡欧してスペイン絵画に傾倒し模写 に専念する。
帰国後、関西美術院展・独立美術協会展に度々出品。
著書に『近代美術とレアリズム』等がある。
独立美術協会会員。芸術院会員。京美大名誉教授。毎日美術特別賞受賞。

創始者 西田 信一

日本油絵会と学展の創設者。
安井曾太郎氏に師事。その後1950年に安井曾太郎氏を含めた8名で日本学生油絵会を創設。
1980年 – 第五代会長に就任。

安井 曾太郎

洋画家。(1885-1955)関西美術院卒。東京美術学校教授。文化勲章受章。1907-1914年に欧州滞在。
フランスではアカデミー・ジュリアンに学んだ。J.P.ローランスに師事しながらセザンヌらの後期印象派の美術を学んだ。
ピサロ・セザンヌの影響をうけた。日本の風土に立脚した独自の作風を求め、伸びやかな筆致、鮮やかな色彩、シンプルで落ち着きのある構図を確立させ、梅原龍三郎とともに並び称された。
1944年(昭和19年)には東京美術学校教授となり、同年7月1日帝室技芸員
1946年(昭和21年)開校した「蕨画塾」の教授を務め、画塾を芸大分校と形容した。
1952年(昭和27年)には文化勲章を受章した。

猪熊 弦一郎

1902年12月14日 - 1993年5月17日
丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館(設計:谷口吉生)には、猪熊の作品が常設展示されている。
建築家・丹下健三が設計した香川県庁舎の壁画は、猪熊の作である。
白地に赤で有名な三越の包装紙「華ひらく」のデザインを行う。
マーク・ロスコ、イサム・ノグチ、ジョン・ケージ、ジャスパー・ジョーンズなどさまざまな著名人と交友関係 を深めたことでも知られる。
1938年 - フランスに移り、アンリ・マティスの指導を受ける。
1955年 - 活動の拠点をニューヨークに移す。
1980年 - 勲三等瑞宝章を受章する。

林 武

1896年(明治29年)12月10日 - 1975年(昭和50年)6月23日
大正末期から画家として活動を始め戦後には原色を多用し絵具を盛り上げた手法で女性や花、風景などを描き人気 を得た。
晩年には国語問題審議会の会長も務めている。孫は元衆議院議員の林潤。
1930年 独立美術協会を創立する。
1934年(昭和9年)- 3月 渡欧。フランス(パリ)・ベルギー・オランダ・イギリス・ドイツ・スペインを訪れる。「コワヒューズ」を制作。
1952年(昭和27年)安井曾太郎の後任として、東京芸術大学美術学部教授に就任。
1967年 文化勲章受章。

脇田 和

現代日本洋画壇を代表する画家。
脇田和は明治41年(1908)、東京生まれ。15歳の時ドイツに留学しベルリン国立美術学校で学びました。
帰国後は光風会や帝展に出品し、昭和11年、新制作派協会の創立に参加、戦後は新制作協会展をはじめ、 サンパウロビエンナーレやサロン・ド・メ、ベネチアビエンナーレなどの国際展に出品して、高い評価を受けました。
11年新制作派協会の結成に参加。東京藝術大学で教鞭
東京芸術大学助教授となり、1970年まで同校で教授を務める。
1991年、軽井沢に脇田美術館開館。勲四等旭日小綬章。
1998年、文化功労者。

鍋井 克之

洋画家。大阪生。旧姓は田丸。東美校卒。白馬会洋画研究所で長原孝太郎に師事する。
フランスなどに留学後、1923年二科会会員となり、1924年小出楢重、黒田重太郎らと大阪に信濃橋洋画研究所を設立。
1947年第二紀会の結成に参加。1950年「朝の勝浦港」などで芸術院賞受賞。1964年浪速芸術大学教授。
宇野浩二と親しくその挿絵を多く描いた。

寺内 萬治朗

1890年11月25日 - 1964年12月14日
日本の画家(洋画家)。
浦和画家の一人として知られる。日本芸術院会員。
大阪府生まれ。裸婦図で知られ「裸婦の寺内」「裸婦を描く聖者」「デッサンの神様」などと称されることも多い。
東京芸術大学講師や東京教育大学講師もつとめた。弟子も多く、寺内と門下生で武蔵野会(のち与野会)を結成していた。