接触する行為によって私たちが自明だと思っていた世界が仮初のものに過ぎないことが明らかになり、異なる世界が現れることがあるとすればそれは日蝕のような現象であるだろう。自明と考えられていた太陽(=世界の秩序)の存在が突然消えることによって現れる、太陽のない世界。これは夜ではない。太陽の消滅した世界(=我々が生きていしてこれは起こり得ないことではないし、オルタナティブ(alternative 代替の、代わりの)な世界と呼べる程生やさしいものではない。接触を通して現れてしまう、一度踏み込んだらもう後には戻ることのできないような世界の現れ。このような現象の総体を「接蝕」と呼びたい。
水野幸司
本展は、学展の受賞作品展との同時開催ということもあり、多くの学生の目に触れることを意識して「小中高生に見てもらいたい展示は何か」「自分自身が当時見たかった展示はどんなものか」という視点をもって企画・構成しました。また私個人としては、初めて展示のキュレーションを担当する機会でしたので、社会や社会における芸術の在り方について、これまで考察してきたことを形にしたい、という思いで取り組みました。
展示のテーマは、以前より興味のあった『未知との接蝕』を選びました。これは、人類という概念が弱体化してきている今、人が人類ではない何かへアクセスする時、これまでにない様々な変容が起こりうるのではないか、ということを考察しているものです。本展においては、「作家が制作時に体験する"接蝕"」「鑑賞者が作品との間で体験する"接蝕"」という2つの場で実験・考察をしました。鑑賞者、また作家にとっても、新たな気づきのある展示になっていたら幸いです。
水野幸司
接触する行為によって私たちが自明だと思っていた世界が仮初のものに過ぎないことが明らかになり、異なる世界が現れることがあるとすればそれは日蝕のような現象であるだろう。自明と考えられていた太陽(=世界の秩序)の存在が突然消えることによって現れる、太陽のない世界。これは夜ではない。太陽の消滅した世界(=我々が生きていしてこれは起こり得ないことではないし、オルタナティブ(alternative 代替の、代わりの)な世界と呼べる程生やさしいものではない。接触を通して現れてしまう、一度踏み込んだらもう後には戻ることのできないような世界の現れ。このような現象の総体を「接蝕」と呼びたい。
無数の椅子の形状を人工知能に学習させ、生成されたデータを出力したものを解体し、新たなテクスチャを与えることによって、未規定の存在としての人工知能と新たな形を作り出していくこと(=協働し新たな一つの思考を合成していくこと)を試みる。
無数の椅子の形状を人工知能に学習させ、生成されたデータを出力したものを解体し、新たなテクスチャを与えることによって、未規定の存在としての人工知能と新たな形を作り出していくこと(=協働し新たな一つの思考を合成していくこと)を試みる。
キノコをはじめとした様々な生物への関心から、女性である自己の身体の内部とその外側に存在する世界との関係性を主題に制作された映像作品。カメラを介して世界を観察し、自然と作家、作品と鑑賞者間の言葉を交信する方法として映像というメディアの可能性を探る。
キノコをはじめとした様々な生物への関心から、女性である自己の身体の内部とその外側に存在する世界との関係性を主題に制作された映像作品。カメラを介して世界を観察し、自然と作家、作品と鑑賞者間の言葉を交信する方法として映像というメディアの可能性を探る。
1999年フランス・ボルドー生まれ。
スライム状の物質と有機的なモチーフが絡み合う独特な人物画を描く。シンプルな構成ながら、物質の質感や透け感、柔らかさのリアルな表現が見る者に強い印象を与える。
東京藝術大学美術学部絵画学科油画専攻で学び、2019年度 久米賞受賞、2021年度上野芸友賞受賞と、早くから注目される。近年の個展に、「SPIRALE」(PARCO MUSEUM TOKYO、東京)、「Monochrome」(FOAM CONTEMPORARY,東京、2022)、「caché」(tagboat、東京、2021)、「Pomme dʼamour」(mograg gallery、東京、2020)、グループ展に「Everything but…」(Tokyo International Gallery、東京、2021)などがある。
現在、東京藝術大学大学院美術研究科在学中。
スライムが顔面を覆うようにかけられたイメージを通して、社会によって抑圧される人間の内面を描くと同時に、透明なスライムが光を屈折することによって結ぶ歪な像を、自己に内在する異形の顕として描き出す。
真っ黒な頭部を模した三つのオブジェクトとヘッドホンからなる音響作品。頭部から左右の耳に配置されたマイクから集音された音が時差を伴い、不明な立体音として左右から響き、今日におけるメディアと身体と意識の関係性を攪拌する試みを行う。
真っ黒な頭部を模した三つのオブジェクトとヘッドホンからなる音響作品。頭部から左右の耳に配置されたマイクから集音された音が時差を伴い、不明な立体音として左右から響き、今日におけるメディアと身体と意識の関係性を攪拌する試みを行う。
熱によって色が変色し、うつろいゆく物質的変化を利用してドローイングすることから人間の個における過去(歴史)のあり方に重ね訂正可能性と不可能性のいずれでもないような過去の個(=私)のあり方を探る。
作家自身の鯨に対する関心から制作された、ドローイングと詩などからなる作品群。ドローイングでは、鯨の死骸や鯨に飲み込まれた人間の物語から着想を受け、世界を内側から解剖し展開させていく方法を模索。詩では、鯨のコミュニケーションのあり方から言葉と身体と他者(=世界)の関係性を再編することを試みる。
作家による本展示をテーマとした討論の様子も学展の公式YouTubeチャンネルで公開されている。
(左から芝田日菜、水野幸司、布施琳太郎、星加曜)