勢いのある若手アーティストとして、多くの注目を集めている友沢こたお。東京藝術大学大学院に通いながら、個展の開催や作品集の出版を行うなど、精力的に活動をしている。学展特別展示『UNKNOWN VISITORS』 へも参加をした彼女に、アーティスト・友沢こたおの原点である、幼少期や中高生時代についてお話を伺った。
絵が好きで描くようになったのは、いつ頃ですか?
母親が漫画家で、いつも家で絵を描いていたんですが、物心がついたときには、私も母と一緒に絵を描いていたという感じです。絵を描く=特別なことではなくて、お風呂に入る、ご飯を食べる、トイレに行く、ということと同じくらい、日常のなかに当たり前に存在するような感覚ですね。私は5歳までフランスに住んでいたのですが、それも絵を描くことを身近に感じるようになった理由のひとつかもしれません。
フランスで生活されるなかで、印象的な出来事などありましたか?
現地の幼稚園に通っていたのですが、結構アートの授業があったんです。特にアートに特化した幼稚園とかではなかったのですが、美術館に行ってモネやモンドリアンの作品を前に模写をして、その後最後にモネの家に行ったことがありました。その経験がとても印象的で、その時に見た、地面に落ちているイチョウの葉まで、今でも覚えています。アートは格式高いものといった壁のある感じではなく、ごく身近な存在として、本物に触れることができた幼少期だったように思います。
その後、日本に移住されましたが、
フランスとのギャップを感じることはありましたか?
日本の幼稚園に編入したのですが、みんな同じような絵を描いている印象でした。太陽を赤く描いて、顔はフライパンのような形をしてっていう。あまりにもみんながそういう絵を描いていたから、私もそうしなきゃと思って、同じ描き方ができるように覚えて極めました(笑)。フランスでは、先生たちもこうやりなさいということは全然言わなくて、まっすぐ線が引けてなくてもああだこうだ言わないし、自由だったんですよね。みんな自然と自分の好きなようにやっていたので、フランスの子どもたちの絵の方が、なんか情熱的だった気がしますね。
小・中学校を経て、高校は美術科のある高校へ進学されたそうですね。
進路決定時のことを教えていただけますか?
私にとって、美術科への進学は自然な選択でした。絵を描くことは、もう赤ちゃんの頃から日常の当たり前の行為でしたし、どんな形であれ、アートや絵に関わる仕事をしたいっていうのは、もう小学校に入る頃からずっと掲げ続けていたので。何より絵は本当に好きだから続けているんですけどね。なので、なにか大きな決断をして進学したという感じではなかったです。
高校ではどんな学生生活を送りましたか?
先生もみんな芸大を出ている方ばかりで、もうバシバシ鍛えられる、スパルタ教育みたいな感じでした(笑)。生徒たちも切磋琢磨という雰囲気で、お互いにのデッサンに「ここをこうしたらいいじゃない?」とか、「この画集すごく良かったよ!」とか高め合える環境でした。先生たちも情熱的で、私が一度筆を洗わなかったことがあったんですが「もうお前は絵を描くな!」と叱られたこともありました。本当にこの熱い高校3年間が、今の私の基盤を作ってくれた気がしますね。
芸大への進学を意識したのはいつ頃ですか?
1年生のときに専攻を選択するのですが、初めは絵の先生になりたいと思っていたので、先生を目指すコースに行っていました。でもある日、気分転換に芸大を目指すコースのドローイングの授業を受けたら、本当に手が永遠に止まらなくて。そこで自分は表現をしたい人なんだと気づいて、進路変更するにはギリギリのタイミングだったんですけど、もう何浪してもいいから芸大に行きたいと思って、そこで決心しました。
芸大を受験するにあたって、
何か有効的な勉強方法などありましたか?
技術を磨くことも大切だと思うのですが、それだけにとらわれずに、自分自身が深く何かに感動する、ということが一番大事だと思うんですよ。それは映画でも絵でもいい。漫画でも小説、音楽、草花、人間でも世界のなんでもいいので、深く感動するということ。私がよく行き詰まったときに、図書室の画集コーナーの本を端から端まで全部読んでいました。やっぱり心が動く絵って、あるんですよ。そして感動したらその作品を、携帯のフォルダなりノートなりに控えておくんです。映画でも、人生が動いたことでも、心が動いたものはすべて。そういう自分だけの“感動図書館”みたいなものを作っていました。それは振り返ってみると、結構学生生活のなかでも大切なことだったんじゃないかなと思います。
コンクールには出品しましたか?
ありますね。自発的に出品するというよりは、学校や画塾の行事として機会がある感じでした。もう受験用のコンクールとかは、ことごとくダメでした(笑)。デザインとかは多分最下位だったんじゃないかな。でも打ちひしがれたりせずに「私は私にとってのいい世界を知ってるし」くらいの心意気で望むのがいいんじゃないかな。でも私もだんだん自分の世界観を表現できるようになってくると、賞をもらったりするようにはなりました。賞は取れたら取れたで嬉しいですからね。「私コンクール1位だったわよ」という嬉しい気持ちで絵が描けたりもするので、コンクールはうまく利用したらいい気がします。
受験のモチベーションはどのように保っていましたか?
芸大を目指すことに対して、母親は理解があったのですが、その他の家族にはやはり心配されて「早く安定した道に行ってくれ」「せめて先生になるための学校に行ってくれ」と言われたりしました。それはとても辛かったです。でも自分の中にも本当にこれがやりたいという強い信念があったし、母親や画塾や学校の先生達が本当に応援してくれたので、そこは乗り越えることができました。私は、特別絵が上手な方ではなかったんですが、学校のある先生が「これを表現するんだっていう深い軸がお前にはあるから、大丈夫だ」といってくれたことも、大きな支えになりました。
強い気持ちで、やりたいことを貫くことが大切そうですね。
そうですね。でも振り返ってみると、自分自身のブレない軸を持つと同時に、それに偏りすぎず、周りの声を吸収して、修正することも大切だったなと思います。受験の時って、先生から「もっとこうしろ」「もっとこういうのを見て勉強しろ」「これが足りてない」って色々と言われると思うんです。うるさい!って突き放すのも、それはそれで格好いいんですけど、私の場合は言われたことを全部吸収して、全部直すようにしたんです。失敗したら何がダメだったのかを、深く分析してました。表現的なことだけでなく、自分に落ち着きがないとか、そういうことも含めて。なんだかんだね、先生も偉いんですよ。先生によるのかな(笑)。でも私は自分の経験から、その姿勢が受験においてもとても大切なことだと思ったので、芸大や美大を志す方にもぜひ実践してほしいです。
晴れて東京藝術大学に合格され、実際に入学されてみていかがでしたか?
高校時代の切磋琢磨する雰囲気とは真逆で、クラスメイト一人一人がアーティストで、作家が集まっているという"個"の空気感が強い印象でした。学校に行くのに毎回緊張して、結構家で絵を描くことが多かった気がします。先生もさっとカリスマを見せつけられる感じだし、なんかプロとしての心意気みたいな、ちょっと突き放されるような感覚がありました。授業は暗闇に3時間閉じ込められて絵を描くとか、急にもっと地面のことを考えてくださいと言われて、潮干狩りとスカイツリーに登ったり、9時間あるドキュメンタリーをみんなで鑑賞したりとか。だいぶ刺激的な授業も多かったですね。印象的だった授業は、今でも物事を見るときの基準になったりと、生かされている部分もあります。
大学生活のなかで、どのようにスライムをモチーフにした作品が生まれたのですか?
それまでは頭の中の風景とかを自分なり表現して制作していたのですが、それがもう全部やり尽くされたような感覚になって、ちょっと怖くて絵が描けない時期があったんです。同時に自分自身も精神的に不安定になって、この世は全部不確実だけど、不確実とも言い切れない。自分の所在がないみたいな感覚に陥っていて。そんな時に、友達が家にたまたまスライムを置いてて、気づいたらそれを被っていました。それがすごく気持ちよくて。外とぴったり遮断されて、シンプルな肉体としての自分が、肌とか粘膜で包まれている様な体験でした。スライム越しの世界がちょっと見えるとすごく神秘的だし、頭をごちゃごちゃ使っていない、原始人のような自分がすごく気持ちよかったんです。その経験からしばらく経って、作品展に出品するタイミングで、初心に帰るようにそのときの経験を描いてみようと思って描いたのがはじまりです。もともとデッサンでも、ぬめぬめした質感になるのが悩みで、石膏像を描いてもこれソフトクリーム描いたの?って感じだったんですけど、スライムはその質感があっているので、ありのままの自分でかっこよく描けちゃった感じですね。基本的に全部自画像で、自分で経験した肌の記憶を絵に落とし込むように描いていて、毎回体を張ってスライムを被ってますよ(笑)。
今回参加された学展特別展示では、同世代のアーティストたちと一つの空間を作り上げるそうですね。
現在制作準備中とのことですが、普段の一人で行う制作活動と何か違いはありますか?
やっぱり誰かと制作することは、刺激になりますね。みんな何を考えているのかなってすごくワクワクするし。やっぱり上の方に教えていただくことも大事なんですけど、同世代の子が教えてくれることって、なんかピュアな響き方をするというか。頭が柔らかくなる感じもあるし、全然知らない作品とかも教えてもらったりして、ちょっと高校の時の切磋琢磨感を思い出しましたね。キュレーターの水野くんから、「こたおさん、こういうのやったら面白いんじゃない?」という話があって、今回はそれにチャレンジしてみようかなと。結構カチッとものを描いていることが多いんですけど、もうちょっと知覚を揺さぶるような、いつもの綺麗なかっこ良い感じっていうよりは、生々しい感じになるのかなと思います。今は色々とアドバイスをくれる人も少ないので、大学受験の時の話でもありましたけど、せっかく教えてもらっているので、ちゃんと実践してみようと思って。いい機会ですね。
友沢さんの作品は、内省的な部分を外に発信する行為にも見えますが、それはご自身にとってどういう意味を持ちますか?
本当に一番生きている感じがしますね。絵を描いている時っていうのは。やっぱり自分自身のことも確実にこうって言い切れるものってない。自分は自分でいるのに、自分っていうものが何かわからない。もちろん他人にもわからないですし。でも絵を描くことで、自分で思ったこととかをゼロから形にして、目の前に表すことで、生きている感覚を感じることができる気がしますね。
これから挑戦してみたいことはありますか?
地球に住んでいるので、地球一周はしてみたいですね。今は日本のことしか吸収できていないから、もっといろんなところに行って、いろんなものに触れて、深い感動体験をもっとしたいなと思います。絵はずっと描くと思うので、その時の自分を大切にしながら、あまり外に流されないように、内なる変態的な、深い探求を、おばあちゃんになってもずっとしていたい。「あのおばあちゃん、やべえよ」って言われる、そんなハッピーで変態的なおばあちゃんになりたいですね。なにかしら、ずっと表現をする人でありたいです。
1999年フランス・ボルドー生まれ。
スライム状の物質と有機的なモチーフが絡み合う独特な人物画を描く。シンプルな構成ながら、物質の質感や透け感、柔らかさのリアルな表現が見る者に強い印象を与える。
東京藝術大学美術学部絵画学科油画専攻で学び、2019年度 久米賞受賞、2021年度上野芸友賞受賞と、早くから注目される。近年の個展に、「INSPIRER」(Tokyo International Gallery、東京、2022)、「SPIRALE」(PARCO MUSEUM TOKYO、東京)、「Monochrome」(FOAM CONTEMPORARY,東京、2022)、「caché」(tagboat、東京、2021)、「Pomme dʼamour」(mograg gallery、東京、2020)、グループ展に「Everything but…」(Tokyo International Gallery、東京、2021)などがある。現在、東京藝術大学大学院美術研究科在学中。